


商売大好きという四代目の山本 保さん



明治時代に製造販売した小間物類
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背筋をピンと伸ばし応対する姿は、82歳(大正十一年生まれ)にはとても思えない若さと華がある。「お店に出て、馴染みのお客さまと話をし、商売している時が一番楽しい」と語る、その姿勢と口調からは、長年にわたって大勢のお客さまに愛されてきたブランドを守り伝える商売人の矜持と生涯現役の熱い思いが伝わってくる。
─ご創業が文久二年(1862)、ほぼ江戸の末頃。
初代の山本直吉が伊勢から江戸に出て、「伊勢屋」の屋号で袋物などの小間物を外商していたようです。その初代直吉がこの神田の地で「山本袋物店」を開いたのが、文久二年でした。二代目の清之助が明治十八年に、そして私の父、三代目の松之助が大正七年に跡を継ぎ、有限会社 ヤマモト鞄店を創立したのは昭和二十九年です。
─最初は袋物からのスタート。
当時は、タバコ入れ、眼鏡入れ、財布、信玄袋や和装袋物が中心だったようです。この近くの多町に青物市場と日本橋のたもとに魚河岸があった関係で、その人たちや市場を訪れる方たちにこうした小間物がずいぶん売れて潤ったようです。一昨年の平成十四年に創業百四十周年を記念して「創業百四十周年祭」を三週間ほど開きました。その時に物置にしまってあった当時の商品を陳列したところ、非常に興味を持って見てくれましたので、そのまま飾っています。
─時代とともに扱い商品も変遷してきたようですね。
戦争前までは和装袋物が商いの中心だったようです。それから戦時中に疎開が始まり、私は兵隊に行って知りませんが、トランクや柳行李とか、そういったものがお客さまから頼まれて扱ったようです。戦後は外商でよく売れたのがハンドバッグ。いま、宅配便の発達で極端に売れなくなったのが、ボストンバックです。鞄に移行したのは私が兵隊から帰ってきてから。当時、鞄専門職人が引退する時、ビジネス鞄が専門のその方のお弟子さんを専属の職人として引き受けてから、本格的に鞄の生産販売を始めました。鞄についていえば、私どもの自慢はどこにも負けない、いい製品を安く作って直接お客さまに提供していることです。
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