


奥さんとの息もピッタリ


最近はこういう佇まいのお店はめっきり少なくなった。


大野さんに古い袢纏を着てもらった。 |
最近、嬉しいことが一つあった。帆掛の印の入った古い袢纏が「お宅にあった方が」と、引っ越しをするご近所のお宅の好意で、店に里帰りしたのだ。戦前までは「お店袢纏」をご近所などに配る“粋な商習慣”があった。明治12年創業の老舗を受け継いで40年。とにかくよく働いてきた、という三代目主人の大野芳男さん。次の祭りには、この袢纏を着て店に立ってみようかと考えている。
─まず、お店の名前の由来から。
江戸時代の末期、越前大野村(現在の福井県大野市)から江戸に出た祖父が、すしの修行をし、この地に店を構えたのが明治12年と聞いています。その創業者が修行した店が“ほかけ鮨”。おそらく暖簾分け。漢字の「帆掛鮨」にしたのは父の代からです。漢字が好き、という単純な理由。
─最近は派手な看板の寿司店が多くなって、こうした落ち着いた 構えの店が少なくなりました。
奥の座敷の方が昭和25年、こちらの建物が昭和35年の建築です。父が頑丈に建ててくれたので、騙しだまし使って今日まで。古風な建物が懐かしいと、ふらっと見える年配のお客様もいらっしゃる。
─現在、お店を支えておられる方々は?
幸いなことに、後を継いでくれるという長男と家内の三人だけ。気を使わずに楽しく仕事ができます。父と母が健在だった頃は、職人もいて総勢8人だったこともあります。最近は出前も、畳の部屋の宴会もめっきり減りました。やはり、ご時世なんでしょうか。中年の方までがコンビニの弁当で平気な時代です。
─ご主人が三代目を継がれたのは?
姉がいましたが男は私だけ。なりゆき、というか父も継ぐのが当然と思っていたようで、商業高校を出てすぐこのみちへ。父が元気だったので2年ほど外で働き、後は父にみっちり仕込まれました。 |