するべきことが山ほどある
山田 慶七さん (株式会社 山田大成堂 代表取締役)
山田慶七さん

活動範囲が著しく広い
山田慶七さん

会 社 名 株式会社 山田大成堂
主な職種 製本業



堅牢な本社ビル

床平米あたり200kg荷重可の
堅牢な本社ビル

安田靫彦画集
安田靫彦画集

吾妻餘波
吾妻餘波

人の書いたものを読みやすい形にして保存する。東アジアの各国では古来、この目的の為いくつかの製本技術が開発されてきた。それらは巻子本・折本・和綴じ本などである。
この中の和綴じ本は江戸から明治期に大きい需要期を迎えた。江戸時代後期では出版の大衆化で黄表紙などが、明治期には学校教育の教科書が出版された。
山田慶七さんが社長を務める和本製本業山田大成堂は、こんな最中の明治38年、下谷区同朋町で創業した。二代目の父上音七氏は大成堂の職人だったが店主に腕を見込まれ養子となった。三代目の山田さんは大学を出て家業を継いだ。
今日、一般の図書を和本で出版することはまず無い。しかし全く無いわけではない。謡の謡本は和綴じである。趣と本の強度からするとそうなる。歌集・句集の自費出版では和綴じを指定されることがある。神保町あたりで和本製本を看板に掲げている事業所がいまも一軒ある。
山田大成堂は和綴じ技術を世に残すため高価な装丁の美術関連図書製本に進んだ。例えば表紙は緞子、表紙角8個所には神輿屋が造った彫金、見返しはキラ(雲母粉)を染型で刷り込み、中は法帖仕立て(折本)、小口は金付け、随分と趣向を凝らした造りである。これらの仕事を支える職人は次第に減っている。山田さんはこの環境の中、ディレクターとして動き完成させた。職人との人間関係を築き、発注者である文人・墨客・僧侶との付き合いがあったからだ。和本製本に対する情熱は確実に山田さんのDNAに書き込まれている。山田さんに日頃の活動を聞くとその広さに驚く。頼まれると嫌と言えない気質らしい。好奇心も旺盛だ。いくつか挙げてみよう。

▲棟方志功氏の書 ▲鈴本で林家正楽師匠からいただいた
切り絵

神田法人会では青年部創設のころ請われて役員となった。「『青年達を若旦那に育てよう』が初代藤井康男部会長のテーマでした。いまは皆さんすっかり立派な旦那ですよ」。続いて広報委員、副会長と歴任、現在は会長である。つまりずっと役員である。 会員だった成田方面のカントリークラブが民事再生となった時、会員が資金を出して本来の意味のカントリークラブとした。いま理事長である。
道楽もある。現在、愛車を駆て全国主要幹線道路単独走破を進行中である。書を嗜む。山田さんの筆致は軽妙洒脱で温かい。寄席も好きだ。鈴本に通い始めたのは数年ほど前だが、実は外神田に住んでいた小学生のころに起源がある。なにせ上野はすぐそこだ。 山田慶七さんとかけてなんと解く。
いただきましょう。山田さんとかけて神田祭と解きます。その心は曳き山車(ひきだし)がいっぱいあります。うまい!?

(2008年10月7日:取材)