
町にとことん尽くす小林武夫さん
会 社 名 |
合資会社 小林商会 |
主な職種 |
おにぎり製造販売・青果業 |


おにぎりの小林店舗前


ありし日のゴン。
自分を猫だと思っていなかった
ふしあり


飼猫ゴンからお客様へのニャン言板
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靖国通りの南側で白山通りと千代田通りを平行に結んでいる250mほどの通りがある。「神田すずらん通り」である。その昔、ここに設置された街灯がスズランの形をしていた事からそう名付けられたという。神田すずらん通りは日本各地の「すずらん通り」の元祖らしい。にもかかわらず頭に「神田」を冠しているのは奥ゆかしい。
スズランは静寂で清々しい北の大地を想わせる。だから「すずらん通り」は清廉な文化の香りがする名前である。実際むかしは図書を中心にして学術・ビジネス商品を販売する店が多かった。
東京には十数か所「すずらん通り」がある。そのうち6商店街で「東京すずらん通り連合会」を組織し活動している。その会合は通称「すずらん通りサミット」だ。
この白山通りからの入口付近はまだ昔の面影を残しているエリアである。そこから60m入った左側に「おにぎりの小林」がある。店主は小林武夫さん、販売商品は看板どおり。材料にはこだわっていて、海苔は福岡の親戚筋から仕入れている有明産、塩は沖縄産である。
この店を決して単なる「おにぎり屋」と捉えてはならない。小林さんの現家業は「八百屋」でもある。築地市場の売買参加章を持っている。かつては果物屋であったが、終戦後の一時期、友人の勧めで金物屋を併設したこともある。のちサンドイッチ屋でもあった。しかしこれらの商売はこの店の表看板に過ぎない。この地で一貫して継続してきたある役割がある。
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小林さんは昭和15年、現住所のはす向かいで生まれた。それから68年間、ずっとすずらん通りにいる。いわば主的存在となった小林さんをまわりが放っておくわけがない。 町会では厚生部員である。「厚生部員っていうのは葬式担当だね。いままで見送ったのは200人以上かな」。
近所の住民たちが何か町のことで相談事があるとき、近所の人に聞くと「それは小林さんに聞いたほうがよい」と勧められるとか。
すずらん通りを昔を懐かしんで散策する老齢者は多い。むかしこのあたりにこんな店があったという記憶をたどる時、小林さんが頼りになる。
そのための準備も怠りない。昭和26年発行の「千代田区商工名鑑」はそのひとつ、店頭におかれている。九段に三業地があったことも記されている代物である。
この街から郊外へ移転した人々が懐かしさのあまり、ふと帰郷しても寄る辺はこの店以外にない。
以上、とにかく小林さんの店の前には人が集まるのである。この人たちに情報はいちいち伝えていては大変だ。大体仕事にならない。だから「ニャン言板」を掲示していた。飼い猫だった人気者ゴンに関する情報、町に関する情報など多くの人が聞きに来るのに対応した掲示板である。奥様は元筆耕業だったから札を書くのはお手のもの。
かくして「おにぎりの小林」は地域の「小林情報センター」となった。かつて下げていた掲示板には『街のことは交番より詳しい』と書いていた。小林さんの誇りである。
(2008年9月16日:取材) |