関東に素麺をひろめた男ひとり
山田 重夫さん (株式会社 山房商店 代表取締役)


アイデア豊富、活発な行動力の山田さん

会 社 名 株式会社 山房商店
主な職種 乾物卸




創業地に建つY101ビル




Y101ビル内の神田市場記念碑



山房商店本社ビル


奈良県桜井市箸中に著名な御陵がある。第7代孝霊天皇の娘、倭迹迹日百襲姫命の御陵だ。この姫は邪馬台国畿内説では卑弥呼に比定されている。この御陵の特徴は他の古墳ではずんぐりしている前方と後円の間のくびれ部が細く、女性のなまめかしさを感じさせるところだ。いかにも女性の墓のようだ。この御陵のすぐ西に、山田重夫さんが大学を出てまもなく修行に出向いた三輪そうめん山本がある。

須田町にある山田さんの実家は明治23年創業の「山房商店」という秋葉原の青物市場を背景にした乾物商である。穀・寒天などを扱った。今も同じ雑穀類卸を営んでいる。顧客はホテルや食品加工業者である。山田さんは3人兄弟の長男なのだからそのまま家業を継ぐのが常であるのだろうが、父上はそうは考えなかった。

関東地方で蕎麦屋に入って夏の涼をとる食事といえば冷麦であろう。その昔素麺はあまり見たことがない。素麺は桜井市が発生といわれている。冷麦は切り麺であるが素麺は索麺と書くように手で長く引き延ばし細くする。索麺は西は九州、東は群馬の水沢うどん、秋田の稲庭うどんへと細うどんに姿を変えて普及した。ところが首都圏は切り麺文化で素麺は一般的でなかった。三越で高級食材として売られていたくらいだろう。


神田市場記念碑 拡大

戦後、統制経済で小麦が手に入りにくかった。それが昭和27年、アメリカから小麦が輸入され自由な流通が確保された頃「山本」は関東地方への進出を企図した。たまたま山田さんの父上と知己であったから、「山房」内に東京支店を開設したのである。このときから55歳になるまで山田さんは30年間「山本」の役員であった。市場開拓に走り回り、千葉県船橋市に倉庫を置くなどの実績を残した。山田さんは留まっていなかった。さらに奥様の協力を得て自宅にフランス料理屋「Rue(通り)」を起こした。「なぜ始めたかって、美味求心、食べるのが好きだから。気楽にアラカルトで注文できるので仕事帰りの若い女性たちの支持を得たね」。残念ながら諸事情から現在は閉店している。60歳を越えたが山田さんはやはりじっとしていられない。ラジオ体操や地域防災活動、神田祭にと活動場所には事欠かない。自宅の屋上には菜園を作り、知人を招いて野菜を肴にビアホール開設だ。埼玉県栗橋市にある別宅では、今後の自らの生活も考慮してここに「楽しく集へる“さん(sun)房(山房)”」を立ち上げるべく画策している。

神田野菜市場の記念碑は今いずこかの倉庫に入っていて、その再登場にはまだ数年かかるらしい。その代わりとなる記念レリーフが「山房」の本社所在地、外堀通りに面したY101ビルの1階にある。山田さんが設置したものだ。

「歳とってだいぶ疲れる」と言いながら旺盛な好奇心と行動力はどこから来るのだろう。

素麺を作るとき棒のあたりの折り返しに太い麺ができる。素麺を細く強くするために欠かせないものである。節麺という。山田さんは地域や人を支える節麺なのかもしれない。

(2008年7月23日:取材)