メンテナンスは建物も人の心も
長澤 清 さん (有限会社 長澤建装 代表)


子どもの健全な育成に心血を注いだ長澤さん

会 社 名 有限会社 長澤建装
主な職種 建築工事





長澤さんの地区活動に対する
数多くの感謝状



千桜小敷地内の千葉周作道場跡碑



玄武館説明板



今も子供たちの歓声が聞こえそうな
千桜小跡地





千桜小の正面にある長澤さんの活動拠点

父上長澤栄氏は、昭和10年代の前半、山形県米沢から神田白壁町のガラス卸商、マルキ商店に奉公に出た。仕事は地方まわりであった。几帳面で嘘をつかない生き方だったから顧客からの信頼は厚く、「サアドン」の愛称で長澤栄の名は全国に知れ渡った。独立するまでの十年足らずで番頭まで上りつめたのである。昭和7年、25歳で現在の地にガラス小売、長澤ガラス店として独立した。いま店は弟氏が継いでいる。長男である長澤清さんは家業の危機管理のためだろうか別の仕事へと展開した。

「他人の3倍働かなくては一人前になれない」が父上の教えだった。この一言が長澤さんの人生を導いているかに見える。

高島屋百貨店に家庭外商部がある。ここが受注する仕事に住宅建築・リフォームがある。縁あってこの仕事を長澤さんが請け負うことになった。次第に事業は拡大し、高島屋住宅の協力会社が設立されて長澤さんはそこで役員を務めた。のち長澤さんは建築業の免許を取り、昭和54年1月有限会社長澤建装が誕生したのである。独立後も高島屋との関係はすこぶる良好である。今日までの仕事は依頼主が富裕層だけに、茶室や趣向を凝らした内装を手がけられ、長澤さん自身とても満足している。人の縁と良質な仕事に恵まれた事業展開だった。「運がよかったですね」と長澤さんは言うが、運だけではない。父上の人生訓とそれに忠実な行動が背後にある。


千桜小跡地の壁画

現在の主たる事昭和40年代、千代田区の防犯協会と区内の広い地域から、小学生の非行防止対策の相談を持ちかけられた。世話好き、子供好き、野球好きの長澤さんである、少年野球へ展開することは当然の帰結だった。同志の3人と今も継続する千代田少年軟式野球連盟を発起させた。 受けた以上は徹底的に監督をした。入部に当たっては厳しい条件を課した。自分勝手な行動を取る者は拒否した。入部してもいじめをしたら退部であった。間違った行動をとるものは大声で怒鳴りつけた。ただし「可愛いので体罰はしなかった」という。他のクラブに先駆けて夏は部員25〜30名ほどを所有していた千葉勝浦の別荘に連れて行き1週間合宿した。炊事や風呂の世話まで一人で対応した。また日常野球部員に煮干を食べることを勧めた。それがいつの間にか千桜小の給食に採用された。そのうち連盟加盟のチームに所属することが地区の親にとってひとつのステータスと認識されるようになったが、しかし、これには充分注意しないと設立目的があいまいになる恐れがある。だから監督はさらに部員に厳しく対応した。 いつも卒業式では子供たちは監督の周りに集まって泣いた。発足時の球児はいまや4、50歳代であるが、その人たちがいまだに長澤さんを「監督」と呼んで慕っている。これは監督の指導が子どもたちの心を動かした表れだ。 長澤さんが神田っ子であることは日ごろの地域活動から十分わかる。更に往時のガラス卸の大店「上野兵松商店」の「」兵松(ヒョウマツ)」を「ショウマツ」と呼ぶ話し言葉からも”神田”が伝わってきた。

(2008年6月9日:取材)