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渡邊 誠 さん (株式会社 アイアン 代表取締役)


お気に入りのカシニョールの絵と渡邊さん

会 社 名 株式会社 アイアン
主な職種 帯鋼販売・ビル賃貸





ビューラー。左側2枚の板が帯鋼





神田元岩井町 千代田区町名由来板



金物通りに向けて入口をあけている本社ビル

「岩本町はもと神田元岩井町とよばれ、徳川家の御用鎧師だった岩井家屋敷があったことに由来する(千代田区町名由来板)」。これが因縁かこのあたりは江戸時代から金物商人が住み、現在も通りは「神田金物通り」と愛称されている。この金物通りと水天宮通りが交差する場所に株式会社アイアンがある。金物商であることを直に主張する社名だ。

株式会社アイアンの創業は昭和21年、会社設立は同48年である。代表取締役である渡邊誠さんは3代目である。株式会社アイアンは神田で創業したあと事業拡大とともに台東区浅草、江東区佐賀、同新木場と移転、倉庫を江戸川区に設置したが、現在は設備を協力工場に移転し、本社業務を岩本町に帰し、工場・倉庫は賃貸している。

株式会社アイアンの扱う商品は「帯鋼」である。「帯鋼」は帯状の鋼鉄板をコイル状に巻いたものだ。機械で連続して切断する、曲げるなどの加工に向いた素材である。
「これが帯鋼から作られたひとつの製品です」。渡邊さんが持ち出したのは「ビューラー」であった。まつげをカールさせる化粧道具である。先端は帯鋼を加工した部品にゴムがはめ込まれている。
写真のビューラーは現在八潮市の業者で製造され、大手化粧品メーカーが自社ブランドで卸していて人気が高い商品である。渡邊さんはこの業者に長く帯鋼を納入している。

人生50年といわれる江戸時代、隠居と呼ばれる人々は大体40歳代であった。江戸時代の商家の当主は40歳代で息子に店を譲ることが多かった。渡邊帯鉄商工(現株式会社アイアン)では昭和の御時世に江戸時代さながらの事業継承が実行された。

先代の幸太郎氏は現在アイアンビルの南側で「三文画廊」を営んでいるが、もともと絵画好きで自らも絵筆を取っている。誠さんもこの影響を受けて絵画を始めた。が、青年期を楽しむ間もなくまだ20代後半の時期に父幸太郎氏が引退し経営をまかされて実業経営の世界に入られた。

そうなると絵画にいそしむ時間は取れず、30歳代でやめた。だが絵画に対する熱意は高く、いま渡邊さんの居間の壁には当代売れっ子のカシニュールの絵が飾られている。社長となってから一時期はゴルフも嗜みとしたが、椎間板を傷めて、プレー中に同行者に迷惑をかけるおそれがありやめた。

しかし渡邊さんはもともと趣味人である。何もしないことはできない。いま渡邊さんを虜にしているのは「ソシアルダンス」である。始めて4年経つ。連続的な運動をすることで筋力を維持し腰の症状を和らげることも目的のひとつだ。

近隣町会にある繊維組合のダンスクラブに縁あって参加、その月4回の活動日には必ず出席している。それだけではない。先生が経営する西日暮里のダンススタジオに週2回通っているのである。ダンススタジオの教習生は平均50歳代であるが、渡邊さんは彼らと較べてひと回り年上。でも入れ込み方において決して負けていない。強く長く厚くあたかも帯鋼のごとく。            

               (2008年3月28日:取材)