神田を描き続けて30余年
下田 祐治 さん (有限会社 あとりえ・え〜す 代表)


神保町応援隊発起人の下田さん

会 社 名 有限会社あとりえ・え〜す
主な職種 デザイン制作・神田百景作者
URL

下田祐治の世界
http://yuji-shimoda.com/
profile.html
神保町応援隊
http://www.jin-oen.com






神保町応援隊雑誌「おさんぽ神保町」
神田百景 絵はがき 1〜15集、発売中




法人なかまの表紙を飾る
神田百景



下田さんの活動拠点、九段アビタシオン

第2次大戦の東京大空襲の時に神田は一部燃え残った。爆弾が落ちなかった地域があったし、住民たちが町を挙げて延焼をくい止めた地域もあった。だから神田には明治末から昭和初めに建てられた古い建物が一部残っている。銅ぶきの家屋が散在している。

表通りに個性的な商品を扱う小さなお店があり、路地に入ると懐かしい匂いのする軒の低い家屋がある。老舗の店舗などはまるで史料として保存されているようだ。

今様の建物群と古き良き時代の建物が生きたまま並んで存在するのが神田の特徴であり魅力でもある。

神田祭にも多くの観客が集まる。その人々はまるで自分の故郷に帰ってきたように嬉々としている。神田は外の人々にとっても郷愁あふれる故郷になっている。神田は今後も周辺地域の注目の的であり続けなければならない。

ところがもとの住民の多くはいま郊外に移り住んでいる。代わりに移入してきた人々はまだ街との係わりが浅い。数少ない住民に街の活性化の活動を期待するのには無理がある。 

世に神田ファンという存在がある。神田が大好きで担ぎ上げたくなる人々だ。街の活性化はこの人達に負うところが大きい。
下田祐治さんはその一人である。

下田さんは群馬県赤城山の南、富士見村の出身で、昭和35年上京し板橋にある印刷会社に入社、製版部門で働きはじめた。昭和44年、神田にできた原稿センターに転勤して、神田勤めが始まった。

下田さんは入社時から神田によく遊びに来ていたが、関わりを一層深くしたのがこの転勤であった。
その関わり合いを確実にするため、このあとすぐに退社し、神田で独立したのである。

下田さんは自身の烏口(罫線引き具)の腕は神保町一番であったと自負している。30代には烏口を1ヶ月に1本消費していた。

呉服の三越が捺染の分版のために毛髪の太さのトンボを引ける人を探していた時、みごとそれに応えた。
烏口一本で生計を維持していたといえる。

そんな仕事を続ける間に、下田さんは息抜きに神田の街を描き始めていた。
「バブルの時に街が大きく変わっていくのを寂しく思ったのです。消えていくものを何とか記憶に残しておきたいと思ったのですよ」。
神田百景は「法人なかま」の表紙を飾り続けている。
昨年105景目を完成させた。まだ描くだろう。主宰する「神田の街を描き続ける会」は会員数170名を超えた。
レプリカ・絵葉書の形で販売もしている。ファン層ができているからもう足は抜けない。

平成18年に神保町ファンを集め「神保町応援隊」を発足させた。会社経営者も新来の住民も神田に何らかの関わりを持ちたいと思っている。「そういう人々の手助けをしたい」。

下田さんは5年前から神田に住所を移して活動している。引退しても神田から離れないつもりだ。なぜならこれからもずっと神田がすきだからである。
                (2007年12月18日:取材)