会社経営と絵画の両道を進む
伊藤 芳雄 さん (株式会社伊藤信男商店 代表取締役)


絵画に埋もれる日々を送る伊藤さん

会 社 名 株式会社伊藤信男商店
主な職種 製本資材販売





お住まいの千代田ファーストビル西館と
お部屋からの眺望






奥様はお茶の修行中



リーブル製本工房で製作した豆本




伊藤さんの裸婦デッサン

伊藤信男商店は、先代信男氏が銀座の金箔業者から独立、千代田区西神田の地で製本用金箔を販売する商社として昭和4年に創業した。 
印刷で金・銀などあしらわれていると高級感・重厚感が増す。しかし、光沢のある金属的な表情は印刷のインクでは表すことができない。そこで古くから使われていたのが箔押しである。
昭和の初め箔押しの材料は金属箔であったが、伊藤信男商店が販売していた箔は本物の金箔であった。
箔押しは手仕事であり、高価な材料と熟練を必要とする高価な技術だった。

何かと騒がしい昭和初期、創業まもなく日本は統制経済下に入った。金銀の一般での取引は禁止された。金箔を扱えなくなった伊藤信男商店は製本資材の多くを手がけることにした。
この決断は正しかった。箔押しではこのあと「ホットスタンピング」という方式が開発されるが、この方式はプラスチック樹脂に金属を蒸着したロールシートが使える。
つまり資材の価格が下げられ、機械での連続作業が可能となったのである。箔の販売に特化していたのが資材の入手難を契機に技術の変遷に先んじて製本資材総合商社へと転進したのである。

現在日本に複数の資材を扱う製本資材商社は多いが、総合商社と呼べるのは伊藤信男商店1社しかないのが伊藤さんの誇りである。
さて伊藤芳雄さんは自分が社長に就くとは考えなかった。
5人兄弟の次男だったから家業を継ぐこともない。絵画の世界に夢を馳せていた。目標は上野の芸大だった。
ところが昭和28年長い闘病生活に入ることになる。
治療に3年、「読書と音楽鑑賞三昧でしたね」。この状況では芸大への進学は断念せざるを得ず、治癒後御茶ノ水に現存する画材商に第1号社員として就職した。
「画材商の取扱商品は製本材料と類似していましてね、そこでの経験が現在の仕事に役立っている部分でもあります」。
本郷にあるリーブル製本工房事業部もその現われの一端かもしれない。
そんな中、家の都合で社長の座が伊藤さんに回ってきた。やむなくその座に就いたが、絵画への憧憬は決して捨てなかった。出版社社長が主宰する画会に参画し、研鑚を重ね、いま伊藤さんはプロの画家である。

今のお住まいは西神田の千代田ファーストビルである。この高層階の自宅には40平米余のスペースがあるが、この部屋の目的はアトリエである。壁を作らせず確保した。月に数度同好の士とここで絵画のサロンを開く。伊藤さんはもちろん教授格である。

アトリエの窓からは靖国神社から新宿・富士山までの広がりを一望できる。一幅の絵画である。「この部屋を選んだのはこの眺望のバランスが気に入ったからです」。住む部屋を選択したのも絵画的構図を最優先したからとは恐れ入りました。

(2007年9月12日:取材)