人間とことん挑み続けなければ
宇田川 榮夫 さん (株式会社グラフト 会長)


エネルギッシュな宇田川さん。

会 社 名 株式会社グラフト
主な職種 デザイン・DTP




三崎町2丁目交差点の社屋。


氏神様 三崎神社と愛全地蔵尊。



かつてロータリーのあった五叉路。



会社設立時、導入した写植機。

専大通りを一ツ橋から北へ後楽橋方面に向かい、靖国通りを越えるとまもなく五叉路に出る。ここは昭和30年代まで東京でも珍しいロータリーがあったところである。ここからさらに250メートルほど進み三崎町2丁目交差点を過ぎた左側、神田アメレックスビルがある。この7階が宇田川榮夫(しげお)さんが会長を務める株式会社グラフトである。

宇田川さんの人生にはいくつかの大きな山があった。しかしそれを持ち前のバイタリティでいつも前向きに乗り越えてきた。

宇田川さんは若いころ某機械メーカーに営業として勤務していたが、経営者が経営を忘れ、改革を望む社員と衝突した。宇田川さんは仲間と共に集団退職した。その会社はほどなく倒れた。

この時期兄は既に写植業界にいた。その兄の誘いで一緒に写植機2台で写植業を始めた。
ところが宇田川さんは写植機の操作ができない。営業を担当したがそれまでとまったく異なる業種である。うまく仕事がとれない。しばらくして兄から退社の要請があった。
だがその折衝のさなか突然兄が社長を辞職。やむなく機材・従業員と負債まで引きつぎ、昭和45年、38歳で「グラフト」を設立した。写植業経営者の多くは自らが技能者であり、実作業にのめりこむことが多かった。が、宇田川さんは写植業の経営を別の観点から見ることができた。

この延長上に東京写植協同組合の理事、組合の後身のDTP協同組合の専務理事就任がある。

古希を過ぎた現在、社長の座はご子息に譲られた。ご子息は社長業に励んでいる。
宇田川さんの評価は「わが子ながらよくやってくれてますよ」である。ならば悠々自適の生活であるはずだ。形の上では月4回ゴルフコースに出る。読書は濫読状態である。ところが心はそこにない。どうにも落ち着かない。理由は仕事からは離れられないからである。
「返す借金はまだありますからね」。
では1日中現場にいるかと思えば違う。会長と社長が並んでいては社長・社員の邪魔になるから午前中半日だけの出社だ。
悠々自適どころか周囲に気を回しっぱなしである。歳に関わらず写真の通りお顔はまだ若い。体からにじみ出てくるエネルギーの始末をもてあましている。法人会の役員になったことも新しい挑戦の場ができたと捉えている。

宇田川さんは言う。
「今の業種を聞かれて困るんですよ。写植の時代は『写植』ですんだんですが、DTPになると組版もあるし、デザインもあるし、文字情報処理もある。これらをまとめてなんていったらいいんですかね」。

写植機器は仕事を限定する仕様だったが、パソコンは仕事を膨らませる。だから一時期流行った「制作」という言葉もしっくり来ない。
この疑問に答えることはできないが、ひとつ言葉を返そう。
宇田川さんは豪放磊落なようで繊細、物事と正面から向かう。
お歳の割には活動的、正直でありながらいたずら好き、また世話好き。こういう人を一言で評するにはなんと言えばいいのだろう。

(2007年8月6日:取材)