田畑がはぐくんだ人生の原動力
亀井 愛三 さん (株式会社コクゴ 総務担当役員 神田法人会担当)


言葉の端々に優しさがにじむ亀井さん。

会 社 名 株式会社コクゴ
主な職種 ゴム・プラスチック製品の開発販売





豊かに実る稲穂は亀井さんの原点か






本社全景



化学、材料工学、バイオ、原子力、精密機器
先端技術関連に寄与するコクゴ製品



本社ビルに残る旧社名の文字

コクゴとはユニークな名前である。
読んでまず教育関係の会社と思った。
ところが違った。
この創業者が「國井護」であると聞いて膝を打った。


株式会社コクゴの業種は「ゴム・プラスチック」を中心にした製品の開発と販売で、取扱商品は事業所、医療・研究用の機器・資材類、例えば原子力や手術用の手袋、カテーテルから大きなものはベルトコンベアなどである。

昭和20年國井護氏はこれからの時代なにが必要とされるかを思案の結果、ゴム製品の販売を思いつき、夫婦でリヤカーで行商を始めた。これが当たってコクゴ商会、国護ゴム、コクゴと社名を変えながら62年間ずっとゴム製品を開発し卸し続けている。

顧客は製造会社、原子力研究所、薬品会社などの企業で一般販売はしていない。
同社の総務担当役員で神田法人会担当をしている亀井さんは10年ほど前に銀行から今の会社に入られた。

現在還暦を少し越えたお歳である。
彼は岐阜県の農家の長男として生まれた。
しかし、家業を継がず銀行に職を求めた。「父は私に農業経営の継承を強要しませんでした」。それは父親の冷徹な家業の危機管理であった。

昭和20年代を想起してみよう。
農業は労働集約的生産の最たるものであった。
動力付き農機はほとんどなかった。

日中の時間は田畑の仕事で使い切る。
農具の手入れや俵作りなどの補助作業は夜なべ仕事である。
日本中がそうだった。

亀井家も例外ではない。
農地は全部まとめてほぼ1町歩足らず。
これを祖父母、両親で耕作していた。
安定収入である米は耕地全体の5〜6割で作っていた。

田はいくつか散在しており、細いあぜ道を辿り田を巡り歩いての仕事である。
猫の手も借りたい時期には小学生だった亀井さんも手伝うことになる。
学校から帰ったら家の仕事である。

農繁期には「農繁休校」があり、朝から田畑で手伝った。
目の前で遊んでいる「サラリーマンの子供がうらやましかった」と亀井さんは回想する。

このようにしても米の収入だけでは家族が食いつなげない。
父親は農閑期には道路工事や山の下刈り、野菜の栽培などで現金収入を得ていた。

「父は農業に強い誇りを持っていました」。どんなに生活が苦しくても父親は家業を捨てることはなかった。
自分の作る農産物には絶対の自信を持っていたからである。

そんな父親だから、亀井さんの将来の選択に対しては、家と家業の存続のためにいかにするべきかの熟慮の結果だったのであろう。
十代のころ、亀井さんは父親の背中を見て暮らしていた。

全身全霊で家族を導いた偉大さは決して忘れることはない。「父の、家族に対する思い・行動力・精神力・仕事に対するプライド・責任感は、今も自分の生き方の中に大きな影響を与えています」。
亀井さんの父上は田畑以外でも大きな実りを残した教育者であった。  

(2007年6月21日:取材)