再び人のあふれる神田小川町へ
杉浦 弘明さん (有限会社宮島ベーカリー 代表取締役)


神田小川町再生を熱く語る杉浦さん

会 社 名 有限会社 宮島ベーカリー
主な職種 貸ビル業




昭和中期の店舗前



宮島ビル外観




雪だるま&スポーツフェア
 東京、本所押上に明治16年1件の和菓子屋が生まれた。名を「明治堂」という。この店が創業後60数年経た昭和24年神田小川町に進出し、ケーキ・パンの販売、洋食・喫茶業を展開することになる。いま神田小川町3丁目1番地の靖国通りに面し宮島ビルがあるが、ここで数年前まで営業していた「宮島ベーカリー」がそれである。

 当主は杉浦弘明氏。3代目である。屋号と苗字が異なるのはこの地にいらした区会議員の宮島氏から土地を買い受ける際、店名に「宮島」を冠する約束があったからである。今の靖国通りの南北は古くは屋敷町で広い敷地が多かった。そこに明治以降多くの学校が建てられた。それに呼応して関連する企業・商店が立ち並んだ。昭和26年ごろ、この界隈には衣食住から趣味にいたる他業種の店が軒を連ねた。

 日本は戦後復興期、全てを失った中で、この界隈に来れば文化に触れられると人々が感じたのも頷ける。靖国通りは休日は歩けなくなるほど賑わった。客筋も「他所に較べると高尚さが感じられました」と杉浦氏は言う。

 宮島ベーカリーはそうした客を迎え、パンや菓子の販売、パーラーではコーヒーやケーキ、洋食を提供していた。当時まだ知られていないグレープフルーツを輸入し、ジュースとして提供していた。これが大当たりで子供づれの家族が多く訪れたという。

 ところで杉浦氏は多趣味である。ただし、お話いただいたのはドライブとゴルフ。飾り棚にはトロフィーなどが垣間見える。が、ゴルフに関する話は「下手の横好き」とかですぐにドライブの話へと展開。

 杉浦氏は北は北海道、南は沖縄まで走破した。1年に6から10万キロのペース。これまでに十数台の車を乗りつぶしたという。ドライブの目的のひとつは清酒・焼酎など全国的に日の目を見ない地酒の発掘である。「水のよいところにはいい酒ができます」。特に群馬県大間々町の「赤城山」はたいそうお気に入り。「1升瓶では飲むうちにまずくなる」から2合瓶をまとめて取り寄せご愛飲とか。でも、杉浦氏の心を占めているのはこれら趣味だけではない。

 杉浦氏には人をひきつける何かがあるからだろう。この界隈の喫茶組合の会長であり、また商店街役員として「雪だるま&スポーツフェア」の実行委員である。「後継者がいなくて役員を辞することができない」とはおっしゃるが決して名誉職にはしないのが氏の気質である。

 地元スポーツ店の活性化を狙った雪だるま&スポーツフェアは今年で6年目を迎えた。開催期間には人があふれる。フェアの経済効果はまったく考えていないのが成功の理由であろうと言う。当初は開催を危ぶんでいた地元の商店街も今では継続を期待している。

 氏の一連の活動の根幹には氏の抱く夢がある。それは小川町全域の活性化、多く人の集まる街への回帰である。老齢化の進む街の住人がいまさら直に手を出せない。だから商業地域の提供がテーマとなる。外部から業者を呼び活性化したい。ただ、既に世にあるショッピングモールと同じでは意味がない。神田小川町が永い歴史の中で育んできた地域の特性を生かす展開をしたいとお考えである。

(2007年5月8日:取材)