私の青春、カントリー&ウエスタン
福岡 正昭さん (佐藤金属株式会社)


退職後、「ベースが待っている」
という福岡さん。

会 社 名 佐藤金属株式会社
主な職種 非鉄金属全般の加工、流通




佐藤金属の社章。
「マスキン」といって金が枡から逃げない
という意味。



仲間たちが開いているライブ。
この日は裏方に専念しているため写真には
写っていない。でも聞いているだけで
「音楽好きの血が騒ぐ」という。



 創業が大正12年、金物問屋に始まり非鉄金属の加工、流通一筋に80余年である。あくまでも本業を大事にし、他業種に手を出さない「甲羅に合わせた仕事」に徹してきた。国内拠点が11ヵ所、海外への進出も早く、現在はアメリカ、香港、上海、タイに現地法人、深?(しんせん)に事務所を持つ。

 社員を大事にする社風で、65歳定年制を採用している。給与・賞与は振込みではなく手渡しである。枡の中に「金」という歴史ある社章とともに「この社風は未来永劫変わらないでしょうね」と福岡さんはいうのだ。

 さて、福岡さんの大学生時代は学生運動が盛んな頃でかなり異色な学生時代を過ごしている。

 「明治大学の3、4年は駿河台校舎でした。校舎は封鎖状態で授業ができない。世の中は東京五輪後で景気はよかったのですが、ベトナム戦争は泥沼化の状態でかなり荒れた世相でしたね。この時代、話題になったことといえば、3年生の時にビートルズが来日したことですね。」

 高校時代から友人とアマチュアバンド活動を楽しんでいた福岡さん、時折米軍のキャンプでアルバイトをしていたが、ある日沖縄へ1ヵ月ほど遠征する話に乗ることになる。

 「当時はまだパスポートが要る時代でした。われわれのバンドはカントリー&ウエスタン。最もピュアなアメリカの民謡です。私はベースを弾いていました。いかりや長介さんで御馴染みのウッドベースです。低音のリズム楽器が好きでしたので」
嘉手納基地には大型の輸送機がとまっている。店で演奏を終えると、仲良くなった兵士の一人から「これからベトナムへ用足しに行ってくるから、明日の夜また遊ぼうや」と声を掛けられる。普通の学生では考えられない貴重な体験をしたのである。
卒業後入社したのは、金属の会社であった。

 「入社してからがまた大変でした。配属されたのが貿易関連の営業部門。その頃は、高度成長が続くなか大阪万博があり、沖縄返還の年にはドルショックです。そして円が変動相場制に移行する、石油危機、狂乱物価など、激変する景気の影響を受け、大変な経験をしました」海外との通信手段にしても、当時はテレックスと電報である。「いろはのい」ではないが、海外向け電報の略号が今でも頭に残っている。現在のように端末の操作だけで事務処理が瞬時にできる状況がまるで夢のようだという。

 ところで、青春時代のバンド仲間たちの今はというと…
「ほとんどがリタイヤしていて、ライブハウスなどで演奏を楽しんでいます。遊びに行くと舞台へ上がれと誘われます。血は騒ぐけれどネクタイ姿ではね。ありがたいことに、ベース担当を空けて待っているから、といってくれるので、退職後を楽しみにしています」ただ、福岡さんにはもう一つ「女房孝行」というテーマもある。同窓会に出ていつも共通の話題になるのが高度成長時代に家庭を顧みなかったという負い目。「これからは一緒に旅行をして、旨い物を食べ人生を豊かに締め括りたいです」と語る。

(2007年3月9日:取材)