木の温かさに惚れ込んで“小物創り”
栗原芳雄さん (有限会社桐治商店 代表取締役)


“指物”なんておこがましい、
細かい仕事が好きなだけ、と語る栗原さん。

会 社 名 有限会社桐治商店
主な職種 桐材の販売
(この他、不動産業の
株式会社麻葉屋を経営)



古い絵皿を収めるために創った桐箱。



細工に使う道具はこの「のみ」のほか、
何種類かの「かんな」と「のこぎり」。




六角の厨子を手にして。
 明治37年発行の「二十世紀之東京神田」という本に、こんな記述がある。 当時の町名・松下町の紹介の箇所で 「桐治商店 これも素敵な材木商で無節何尺巾などといふ大板、ツヤツヤするやうな角柱など、 大きな置場に溢るるやうにたてかけ、大いに松下町に景気を添えたものである。」 当時の繁盛ぶりが伺える。

 「創業は江戸末期の嘉永年間。ペリーが浦賀に来た頃、創業者の治平の治をとって“桐治”。私で五代目、一貫して桐材だけを扱ってきた材木商です。 鎌倉河岸からいろんな材木が荷揚げされたことから、この辺りには材木屋がかなりありました。 戦後は廃業したり、木場へ移ったりで私ども一軒だけ。寂しい限りです」

 明治初期には、上野寛永寺、成田山新勝寺に桐治の桐材が使われたと、栗原さんは祖父から聞いた。 この祖父は“桐の目利き”として有名であり、また桐治商店の屋号“麻葉屋”は、 神田の麻葉屋として業界ではその名を知られた。

 「最近は、加工の難しさもあって桐材の需要が落ち込んでいます。せいぜい茶室の一部やお金持ちの和室、あとは掛け軸とか骨董品を入れる箱などです」

 さて、栗原さんは学生時代から家業の手伝いに明け暮れた。まさに親の背中を見て育った。 納品に行った職人の仕事場で、その仕事ぶりを何時間でも見ていて厭きなかったという。いずれ自分でも作品を創ってみたい、と思いながら。

 「その夢がやっと叶ったというのでしょうか。息子が六代目を継いでくれることが決まって、 気持ちに余裕ができました。材料は身近にあるし、小さいものを創り始めて6、7年というところです。 文箱とか小さな仏像を納める厨子などの製作を頼まれれば創って差し上げます。 これは私の息抜きですから」

 キセルを集めている人から、並べて保管する箱の相談を受ける。土地の頭からは上等な“煙草入れ”を入れる箱を頼まれる、などなど。 案を練り、1日1時間くらい集中して仕事をし、設計図などは書かずに1週間で仕上げる。

 「桐は軽くて軟らかいから、加工しやすいと思われがちだけど逆なのです。 桐は刃を喰うといって、よく切れる道具でないと駄目ですから。 昔の職人さんたちもいつも道具を砥いでいたことを覚えています。私も一通りの道具は揃えました。 もの創りをするだけでなく砥ぐ時間も実は楽しい。心が落ち着き、つまらないことは全部忘れます」

 桐は“木目を楽しむ素材”であるという。2枚の板を繋いで1枚の板に見せる技術、これが最近ようやく身に付いた。 それと骨董市などで質の良いハガネの「のみ」を手に入れ砥いで甦らせる、 その“目”が利くようになった。

 栗原さんの仕事でのモットーは「身の丈の経営」であるが、これは趣味の世界にも当てはまる。 「身の丈の趣味、それを生業にしている職人さんは沢山いるわけで、 私は好きでチマチマしたものを創っているだけで職人さんの真似事をしているだけです」

 これまでに創った小物は15,6点ほど。 頼まれた方々から末永く使ってもらえることを何よりの喜びとしている。
(2006年10月27日取材)