創業者の伯父はダービー馬のオーナー
溝本智之さん(昭和部品株式会社 代表取締役副社長)


伯父・儀三男氏の“お宝”を語る溝本さん

会 社 名 昭和部品株式会社
主な職種 自動車部品・工具
用品等の総合商社




フエアーウインの勝利を報じた
当時の新聞とゴールの写真



優勝馬のレイ。大レースの時だけのもの



天皇賞盾(左)と日本ダービーの優勝盃(右)

 今はすっかり様変わりしている神田金物通りに、自動車産業の将来を見据えて、戦後すぐに昭和部品(株)は産声を上げた。創業者は溝本さんの伯父にあたる儀三男氏。そして、父・紀正氏との兄弟会社であった。伯父に続いて父が二代目を継ぎ、現在は従兄が三代目社長に就いている。溝本さんは現在副社長。法人会との縁は平成9年、今川中学の50周年同窓会で幹事役をやったのがきっかけ。

 「同窓会長が当時の法人会地区長で、法人会の支部長を頼まれ、引き受けることになったのです」
 
 さて、昭和部品ビル7階の一室には、初代・儀三男氏が手に入れた大変な“お宝”が眠っている。それは競馬ファンならずともその季節がくると血が騒ぐという、日本ダービーと天皇賞の優勝杯と盾である。儀三男氏の持ち馬が優勝を果たした時のもの。

 「同郷(和歌山県人会)の、馬主の社長さん(オノデンの当時社長だった小野さん)から薦められて競走馬を持つようになったそうです」

 最初の金字塔は昭和34年、京都競馬場で行われた春の天皇賞競走に「トサオー」で勝利する。溝本さんの生まれる1年前のことだ。そして圧巻は、その3年後の昭和37年の第29回日本ダービー。「フエアーウイン」が人気馬を抑え劇的な勝利をつかむ。“ダービー馬のオーナーになることは一国の宰相になるより名誉なこと”といわれるように、この難事を馬主歴10年足らずで成し遂げてしまった。

 「当時としてはモダンな馬名、この馬の父はゲイタイムという輸入の良血馬。それが大一番でモノをいったのでしょうね。それと、当日は雨で不良の馬場だったことなど、いろんな幸運が重なった…」

 40歳代でダービーの馬主になった儀三男氏はそれ以降、東京馬主協会の理事を務めるなど競馬界との関わりを深めていく。最盛期には十数頭、延べにしたら百頭に近い競走馬オーナーとして活躍した。

 「父も何頭か所有していましたが、急逝した平成15年以降は新しい馬を買っていません。従って今は廃業状態。思い出だけです」

 溝本さんは伯父や父に連れられて、札幌から小倉まで持ち馬の出るレースを追って、全国の競馬場を回った。それでは今、競馬とどう関わっているのかなどを伺う。

 「私はほんの少しだけ馬券を買って楽しんでいます。サラブレッドはよく“血が走る”といわれます。確かに血統というものは壮大なドラマです。それと、騎手や調教師や馬主など競馬に関わる人たちも、何世代にもわたってドラマを演じています。競馬は実に奥の深いもので、それが魅力だと思います」