「江戸天下祭」を仕切った“祭り好き”
橘 五郎さん(有限会社五番館代表取締役)


根っからの“お祭り大好き人間”
という橘さん


会 社 名 有限会社五番館
主な職種 不動産管理





江戸神田へ里帰りした見事な山車
 (写真:千代田区広報公聴課提供)



大勢の人たちで賑わう神田祭




うちわを持って近所の人に抱かれている幼少の頃の橘さん。この頃からどっぷり祭りに浸かっていた

 豪華な山車で有名な飛騨高山で聞いた話。お宅の方が火事だよと聞いて、自宅より先に山車蔵へ駆け付けた人がいたという。そんな超のつく祭り好きが本家・江戸神田にいない訳がない。橘さんもそんな“祭り人間”の一人に違いない。

 「祭りの年が明けるとね、そわそわと落ち着かない。この土地で生まれ育って小さい頃から慣れ親しんできたから、もう身体に染み付いてる。三度の飯よりという例えがあるけど、まさにこれだね。祭りしか話すことがない」。

 鍛冶町一丁目の町会長、最近までは神田駅東連合町会の会長として、2年に一度の神田祭りを取り仕切ってきた。それともう一つ、江戸開府400年を記念した“江戸天下祭”の再現という催しが平成15年にあり、連合町会として参加したのだが、これが好評で、今後続けるかどうかが関係者で論議された。そして、そのまとめ役=幹事長という大役を担うことになった。

 「いろんな意見がありましてね。区の方は毎年どうかといいますし、別の人は次は開府450年とか、区切りでやればいいとか、1年おきといっても大変だとか。それじゃ神田で引き受けようじゃないか、と去年は5月に神田祭、10月に2回目の“江戸天下祭”と大忙しでした」。

 祭りは育っていくもの、と橘さんはいう。高円寺の阿波踊りにしても最初のころに比べだいぶ充実してきましたね。桟敷席ができたりしていますしね。元々、江戸の祭りは山車が主体だった。それが都市化のために運行が難しくなり、神輿に変わっていったという経緯がある。その山車はどうしたかというと、川越とか鴨川とか周辺の町に引き取られ、祭りに曳かれ大事にされてきた。

 「天下祭りではそんな里帰りの山車も出ました。お江戸で曳いてみたいという各地からの要望にも応えることができました。例えば千葉の鴨川から来た山車には、お隣りの鍛冶町二丁目の提灯までそのまま。昔を知る人にとっては、懐かしくて胸が熱くなったことでしょうね。若い人たちにとっては夢物語」。

 日比谷公園を出発して丸の内を通り皇居前広場までの約2キロメートル、江戸天下祭の圧巻は、神輿(八連合から9基)と山車(川越、鴨川など各地から参加の12基)の華やかな渡御だ。「観客の人気は見慣れている神輿より、圧倒的に山車でした。美しいし、からくり人形などの見物もある。これで種まきができた。あとは隔年、神田祭りと同じ年の秋に開かれるこの祭りが、立派に育っていくことを願っています」。